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『魍魎の匣』最終話 「魍魎の匣、あるいは人の事」~感想

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え~、第一回~。


雨宮

「今週の『魍魎』も面白かった会議~。」 



…………。



中の人ネタかよ!!


しかも現視研は絶対このアニメ取り上げねえw


……なんで最終回でフザけるのかというと、思い入れすぎると記事を書くのに莫大なパワーを消費してしまうからです。
そのくせ内容も詰め込みすぎでいつにも増してわけわからんくなるしね。気楽にやった方がかえって筆が進もうというものさ。

それを悟るのに三日かかった。

あとは勿論、もはや完全に時機を逸してしまっているからですね。

遅くなってゴメンよ!!

一歩面白かったよ!!

いや、ここだけはマジメに、もしこの感想記事を待って下さっている方がいらっしゃったのでしたら、本当~に申し訳ありませんでした。
お詫び申し上げます。

前置きはこのへんにして。
最終回の感想も前回から引き続き、「理解を深める原作セリフを取り上げよう企画」から始めていきたいと思います。
例によって各人物の台詞はすべて原作小説、およびその他シリーズ作品より引用しています。

「(前略)去年の事件がそうだった。あの事件の中心には、
 様々な事象と『関わりを持たぬ邪悪な真犯人』が――いたんです」 ――青木


と、言いつつも。
さっそくですが、このセリフは、『魍魎の匣』の原作中に出てくるセリフではありません。
後のシリーズ作品(『絡新婦の理』)において、あまりにも不可解な事件の構造、真犯人の正体に近付こうとする議論の最中、青木刑事が『魍魎』事件を振り返って語った言葉です。

その言葉が示すのはすなわち、美馬坂幸四郎その人……であります。

「(前略)この堅牢な要塞――あんたの造った人工の人体は実に不格好だ。美しき天然の人体には遥か――及ばない」 ――京極堂

「それは貴様の価値観だ。美などと云う相対的なものに興味はない」 ――美馬坂

事件の総決算となる今回では、自然、すべての元凶である美馬坂と、それに対する京極堂の言動にスポットを当てざるを得ませんね。
まずは前回ラスト、「美馬坂近代医学研究所」が「美馬坂の創った人間である」というのが明かされた直後のやりとりから。
前回書きそびれた両者の対立構図が、ここでも表されています。

美馬坂が老い衰えていく妻の姿を見て、肉体そのものを憎悪し、人造人体の研究に傾倒していった……というのは、アニメ本編でも描写されていたとおり。
ここでは、そんな美馬坂に京極堂がぶつけた「美しき天然の人体」発言にも注目したいところです。

こういった言葉の端々から、京極堂は本質的な意味で人間を、人間が本来的に持つ「価値」を信じているのではないか、と私は思っています。

人はいつだって強く正しく前向きに生きていけるはずだ――なんて薄っぺらな「可能性」ではなくて、「人として今ここにある」という、もっと根本的な価値。

京極堂が「人間の可能性」なんて信じちゃいないのは、久保に対する発言やラストシーンで関口に告げた印象的なセリフからも、なんとなく理解できますよね。
むしろ彼は、人がダメになってしまう「悪い方の可能性」を常に危惧している感があります。「通り物に当たる」、なんて作中の表現は、今更引いてくるまでもないこと。
そもそも可能性なんて言ったら、良くなる可能性も悪くなる可能性も同じだけあるわけですから。

だからこそ、京極堂は美馬坂との対決に乗り出したのでしょう。
美馬坂がことここに至ってついに開き直り、久保のようなモノを生み出すことを自覚しながら、娘を利用してまで研究を続けようとしだしてしまった。
人の人たる「価値」を脅かし、人を悪しき「可能性」に導く存在になりかけてしまったから……ですね。

まあ、この時の京極堂は憑き物落とし(お仕事)の真っ最中であり、本人の言うとおり彼にとっては「言葉は武器」なのですから、美馬坂にもっとも「刺さる(効く)」言葉を選んだだけなのかもしれませんが……。

それでも、あくまでこういった言葉を使うことに京極堂の「人間性」が表れている気がするのです。

「(前略)体のどこが欠損しようと、命ある限り人間は人間だ! 生命の尊さに変わりはない。(中略)
 たとえ一分一秒だって延命するのが医学者の務めだ」 ――美馬坂


「あなたの云っているのは正論だ。僕もそう思う。(後略)」

「(前略)これから医療行為は、こうした現実を見据えずに語れなくなるだろう。(後略)」 ――京極堂


続いては、美馬坂が加菜子に行ったことに対し、一同(青木、木場、関口)が非難を浴びせたおりの二人のリアクション。
美馬坂も決して、医者・科学者としての倫理を完全に失ってしまったというわけではなかったのでしょうが……。

また、昭和二十年代を舞台とするこの妖怪シリーズにおいて、たびたび語られる「これから先の時代」については、考えさせられることが多いです。
登場人物の予言めいた物言いが、現代という時代がいかに様々なものを捨て、その残骸の上に成り立っているのかということを浮き彫りにしてくるのですね。

「てめえは、いつだってそうだ」 ――木場

美馬坂を責め立てたい木場の旦那。その苛立ちは、美馬坂の(理性的すぎる故に)理解しがたい持論を否定しない、京極堂にも向けられます。
事件がこんなんなるまで静観を決め込んでいたことを詰られて、しかし京極堂は

「僕がこうして、こんな道化の役をやっているのだって、本来してはならぬことだ」

と木場を一蹴。彼が定めていた「敵」についても、そんなものはいなかったと引導を渡します。

その上で、なおも皆の魍魎を落とすべく美馬坂に立ち向かう京極堂。そんな京極堂に向けたセリフです。

「敵を倒し、事件を解決する」のが刑事である木場にとってもっとも重要で、そして切実に望んでいること。それを否定しかねない京極堂のやり方には思うところがあるようで……。
もちろん木場修も、京極堂の立場が時として(今回のような場合)とてつもなく辛いことは理解しているはずなのですが、今回は木場修に憑いた『魍魎』がなかなかタチが悪かったために……結果憑き物落としの足を引っ張ってしまうことになります。

「私の人生観で推し量れば馬鹿だね。(中略)不幸なのではなく、幸福とはどんなものか知らんのだ。(後略)」

「あいつは、行ってしまったんだな。(中略)そんなことはもうどうでも良かったんだな」 ――増岡

来ました、今回もスーパー増岡タイム。
一旦休憩で~す。←

前回で触れたとおり、増岡弁護士に憑いた『魍魎』とはすなわち、雨宮という愚かな男を見下し続けてきたことで生まれてしまった、不必要な自尊心や傲慢さ、それによる周囲とのディスコミュニケーションであったと言えます(弁護士という立場にも関わらず)。

雨宮というフィルターを通して見ていたが故に、柚木母娘に対して親身になれなかった……彼女らに「雨宮のような態度で」接することを、無意識的に拒絶し、放棄していたという部分はあったのでしょう。

そんな増岡も、雨宮という人物の真実、彼が到達した彼岸を垣間見ることによって雨宮を理解し、憑き物を落とされます。
この最終回でもセリフは最低限のものしかありませんでしたが、三木眞一郎さんの芝居が彼が受けた衝撃のほどを見事に表現していたと思います。

増岡のその後については描かれませんでしたが、原作では後発のシリーズにて再登場。チーム京極のある意味もっとも頼りになる仲間(社会的な意味で)としてバリバリ働き続けています。
……もしも彼のことを心配している奇特な方がおられましたら、ご安心を。

ところで、雨宮が加菜子を愛していたように「加菜子も雨宮のことが秘かに好きだったのではないか」という感想をいくつかのサイト様で拝見しました。

私はそれは絶対にないと思っているんですが、どうなんでしょうね。
加菜子ほどの利発な娘が、本質的にそんな狂気を抱えた雨宮を好くなんてことは有り得ないと思っていたんですが……。
湖へ行くのは、複雑な家庭事情のみならず「雨宮からも逃げたかった」って気持ちが少なからずあったんじゃないかと。

ただその逃避行のパートナーに選んだのがあろうことか頼子だったわけですから、やっぱり加菜子は見た目ほどは強くない、支えてくれる人を常に求めている娘だったのかもしれないですね。

「別にあなたに悔い改めてもらおうとは思いませんよ美馬坂さん。思い上がっちゃいけない。

僕はあなたなどどうなってもいい。あなたは強い人だからね。

 僕が心配しているのは陽子さんだ」 

「さあ木場修! あんたはこの女(ひと)を」 ――京極堂


さて、増岡さんがスッキリしたところで本筋に戻ります。

このセリフからも分かるとおり、京極堂は美馬坂を攻撃し、化けの皮を剥がすことで陽子の『魍魎』を落とそうとしていたわけですが……。
然る後に陽子を受け止めるべき相手として、木場を想定していたんですね。
いや、ここらへんはさすがに詰めが甘いかなと……。

徹底的にやるべきところで、陽子と木場に変に気を遣うから失敗したんじゃないのかなあ。
結局、そうして「真実をしまっておく」ままでは木場の気を済ませることはできず……木場修は彼自身にとっても辛い、陽子の告白を聞くことになってしまいます。

激昂した木場はこの時、こんなセリフを吐いています。

「黙れ! 京極、てめえは所詮事件に関わりのねえ人間じゃねえか。
外から眺めてる奴がごちゃごちゃ口を出すねえ!」 ――木場


奇しくも、冒頭の青木の言葉と通じるものがありますね。
「京極堂と美馬坂は同類」、ともとれる台詞です。(むろん木場修にそんな意図はないでしょうが……)
そのことを多少なりとも自覚しているから、陽子や木場のことは心配する京極堂も、美馬坂に対しては容赦がないのでしょう。
だからこそ暴走を始めた美馬坂に対抗するのは自分しかいない、と腰を上げたところもあったのではないかと……。

それはそれとして、ここからの空中ステージへの場面転換は見事でしたね。すごいイリュージョン。個人的にはラストの花火シーンにも劣らない演出だったと思います。
余人に立ち入れぬ領域で対峙する京極堂と美馬坂、離れた場所から声を届けるしかない陽子、変なとこからいきなり現れて暴れ回る木場修と、まさに今回の事件の縮図を見ているよう。
きっと、この建物の下の方では関口とか青木がのたうち回っていたんでしょう。

そしてその関口もまたコッソリと暴走、匣の中の久保を見ようとして酷い目に遭います。
息も絶え絶えに魍魎とは何だと問う関口に、京極堂は『境界』だと答えます。
軽はずみに近寄ると向こう側へ引きずり込まれるぞと。

「そして科学もまた境界だ。美馬坂さん、このままだとあんたも向こう側に行ってしまうぞ!(後略)」  ――京極堂

「中禅寺。(中略)どうやら貴様の忠告は聞けなくなった」

「私は、陽子と地獄へ堕ちよう」

「(前略)私もまた、お前を愛してしまったからだ」 ――美馬坂


長くなりましたが、この一連のセリフはアニメでもぜひ、再現してほしかったところ。
まあ、実の娘に父が愛を告げるシーンなんてさすがに倫理上マズかったのかもしれませんが……。

美馬坂が単なる狂科学者ではなく、人間的な弱さの持ち主であったことが伝わる台詞だと思うので。

美馬坂が京極堂の詭弁に苛まれ、悩んでいた、というのも、このワンクッションがあるとないとでは多少感触が違って聞こえたのではないでしょうか。

そして結局、美馬坂は京極堂が扱う分野である「心」……自分自身の弱さと、人が皆それと同種のものを抱えていること……を知り、意識してしまったが故に、「科学者でいる」ことができなくなってしまいました。

この時、京極堂は言葉とは裏腹に「美馬坂のことも踏みとどまらせようとしている」ように思えますが……。

愛する娘・陽子と、彼の研究の最後の拠り所である久保を連れて逃亡する際、美馬坂はこう言い放ちます。

「中禅寺! 貴様はひとりで『そこ』にいろ。

 陽子! 来い。私はお前を愛している」 ――美馬坂


あー。行ってしまいましたね。


そして……。


「欺かれた。あの老獪な、残忍な科学者に誑かされた」

「一億年分の後悔と懺悔が押し寄せる」

「ちっとも幸せじゃないじゃないか」

「私は、『魍魎の匣』だ」

「ほう」

「私はそれだけしか言葉が喋れない」

「出せ、出せ、匣から出せ!」 ――久保



美馬坂の物語に幕を引いたのは、久保。

原作では、匣に入った彼の苦しみと悔恨と、自分を見失っていく様子を語ったモノローグが2段4ページに渡って描写されています。

これを読むと、京極堂の「久保も被害者」という発言も、あながち言い過ぎではないことが分かります。
アニメではそういった久保の心情は深く描写されていませんでしたけど……鬼気迫る表情の作画と、これまた古谷徹さんの演技が充分にそれを補っていましたね。
ま、それより何より実際の行動が全てを表しているか……。

この凄絶にして皮肉な結末は、単なる加害者と被害者、殺人者同士の狂気と悪意の行き着く果て、というのみならず、「自分だけの物語への逃避を選んだ」美馬坂を、死の間際にして「自分だけの物語から覚醒した」久保が殺すという、大いなる逆転でもあったわけです。

このとんでもない二匹の魍魎の相克を目の当たりにして、陽子が「置いていかれてしまった」……というのは、さらなる皮肉なのか、あるいは救いでしょうか。

木場の旦那が最後に決めてくれて、ひとまずはめでたしめでたしとするべきなのかな。
木場修が刺されるシーンからラストの花火まで、フツーに泣いてましたわ。この年になると涙腺が緩くなっていかん。

あ、話題のパノラマ島式久保花火ですが……。

京極堂なら遺体がなくても葬式くらい挙げられるよね、うん。そんな感想。

美しければそれでいいよ。

おっと、榎さんも何か言いたいそうです。

「何が呑気なものか! 今下で爺様の首吊りを阻止して、おまけに目茶苦茶に爺様が壊した電気の配線を応急処置してきたところだ! 大活躍だ。(後略)」 ――榎木津

これを喋ってくれたら一発で今週の榎木津の動きが理解できたのになぁ。(笑)

「わしがこんなものさえ造らなければ、あの青年はあんな姿にならんで済んだ。わしのせいでもあろう」 ――甲田

アニメでは首吊りではなく切腹しようとしてましたね。
『魍魎』における榎木津のアイデンティティは「二人の人間の首吊り阻止」(一人目は頼子のお母さん)に尽きるところがあったので、やや残念ではありますw

文字通り美馬坂の片棒を担ぎ、悩み苦しんでいた甲田さんでしたが、彼はあちら側に行くこともなく、我らが榎木津大明神のおかげで命も拾ったようです。

さてさて、あんまり引用ばかりしているのもナンでございますから、「理解を深める原作セリフ」は、これで締めたいと思います。

アニメにもあった「人を辞めてしまえばいいのさ」を受けて。

「捻くれた奴だ。ならば、一番幸福から遠いのは君だ。
 そして、私だ」 ――関口 



……気楽にやると言っておきながらこの始末

最後の最後はもー、今度こそ気楽に行きます。

出たな、老衰河童男!!(命名・榎木津)

普通に西洋風のイケメンでしたね……「容姿が異国風」とか「背丈がある」とは書いてあったけど、「瓢箪鯰」や「枯れ枝」のイメージではないなぁ。
声も浜田賢二さんでめっちゃ渋いし……。どうでもいいけど浜田さんといえばガングレイヴのハリー(青年時代)ですよねー。あの作品も忘れられん。

川新が出て、里村が出て、伊佐間が出て、となると、どうしてもマスカマダ・カマスカス君気持ちの悪い乃介君(両方とも命名・榎木津)が動いて喋っているところも見てみたくなりますね。

原作既読・未読を問わず、このアニメを見終えた方々からは「他のシリーズ作品もアニメ化してほしい!」という意見が少なからず出ているようですし……次に続くエネルギーというのは、作品を通じて充分にプールされたと思います。

じゃあ実際問題どれだよなんてことを考えるのも、また楽しみというもの。
とりあえず無難なのは『陰摩羅鬼』かなーと思いますが、別に見たくないしなあ。

この記事を書き上げたら、三ヶ月間ウハウハさせてもらった『魍魎の匣』も、私の中でいよいよ終わりとなります。

最後に小さな波紋を投げかけて終わるのは原作どおりですが、そこに至るエピローグは実際にはもう少し長く、爽やかな余韻平和な雰囲気が味わえる仕様になっています。
関口の単行本が無事発売されて、京極堂たちが喜ぶ場面とかもありますし。
ぶっちゃけ、最終回近辺の展開を追い直すだけでも、原作を読む価値はあると思いますよ。

っていうか、読んでほしい。
ここまで書いてきてなんですが、やっぱり素人が書くこんな記事程度では作品の魅力を伝えきれません……。

……だからこそ、それを見事に成し遂げてくれたこのアニメが、素晴らしいわけで。

原作最初の一行に始まり、最後の一行に終わる。

それをやってのけたっていうのは、尋常なことじゃないと思います。

「原作を完全再現する」ということの、新しい在り方、取り組み方を示してくれたこの作品。

堪能させていただきました。


【『魍魎の匣』感想・了】


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